ギルサノフの定理に現れるラドン=ニコディム微分の経済学的解釈

この記事では、ギルサノフの定理に現れるラドン=ニコディム微分に対して経済学的解釈を行う。

ファイナンスにおいて、ギルサノフの定理により実確率からリスク中立確率への変換が行われ、その変換はラドン=ニコディム微分を介して行われる。

ラドン=ニコディム微分がどういう経緯で導出されるかを見ることで、その正体を探る。

本記事の内容は下記書籍の内容を参考にしているため、合わせて参照してほしい。

目次




ギルサノフの定理と問題意識

デリバティブの価格を評価する際、リスク中立確率のもとでのペイオフの期待値を無リスク利子率で割り引くという操作が行われる。

リスク中立確率のもとでの期待値は、実確率のもとでの期待値とは異なり、実確率のもとでの期待値に「ある修正」を施すことが求められる。

実確率からリスク中立確率に変換するためにどのような「修正」を施せばよいか、という問の答えは、「ギルサノフの定理」として知られている。

ギルサノフの定理によれば、実確率からリスク中立確率に変換するための「修正」(これをラドン=ニコディム微分とよぶ)は
\[ \begin{split}
\frac{ dQ}{ dP}= e^{-\int_t^T\frac{ 1}{ 2}\theta^2 dt-\int_t^T\theta dz_t}
\end{split} \]と表せる。\( \theta\)はリスクの市場価格である。

この事実は多くのファイナンスの教科書に述べられている。

しかし、

  • なぜ実確率からリスク中立確率に変換するための「修正」にリスクの市場価格が現れるのか
  • なぜ数式の中にリスクの市場価格の2乗のような見慣れない式が現れるのか

について、十分な説明をしているものは多くない。

この記事ではギルサノフの定理に現れるラドン=ニコディム微分が経済学的にどのように導出されるかを見ることで、その経済学的な解釈を与える。


ファイナンスの第一基本定理と確率的割引ファクター

ファイナンスの第一基本定理より、市場モデルが無裁定であることと確率的割引ファクター(プライシング・カーネル)が存在することは同値である。

したがって、資産価格の中心公式より、任意の資産価格\( C_t\)について
\[ \begin{split}
C_t&=E_t\left[ m_{t,T}C_T\right]\\
&=E_t\left[ \frac{ M_T}{ M_t}C_T\right]\\
\Leftrightarrow M_tC_t&=E_t\left[ M_TC_T\right]
\end{split} \]となる確率的割引ファクター\( m_{t,T}\)と、その「分解」\( M_t\)および\( M_T\)が存在する。

\( M_t\)は状態価格デフレータと呼ばれ、このモデルの背後に存在する投資家の限界効用に等しく、\( M_t>0\)を満たす。

資産価格の中心公式の主張は、限界効用で重みづけた資産価格は実確率のもとでマルチンゲールになる、ということである。

以下、\( M_t\)が次のような確率微分方程式を満たすと仮定する。
\[ \begin{split}
dM_t=\mu_mdt+\sigma_mdz_t
\end{split} \]

また、資産価格\( C_t\)は次のような確率微分方程式を満たすと仮定する。
\[ \begin{split}
dC_t=\mu_cC_tdt+\sigma_cC_tdz_t
\end{split} \]


マルチンゲール、リスクの市場価格、ラドン=ニコディム微分

\( D_t=M_tC_t\)とおこう。

伊藤の公式より、
\[ \begin{split}
dD_t&=C_t dM_t + M_t dC_t + \left( dM_t \right) \left( dC_t \right)\\
&=\left( C_t\mu_m+M \mu_c C_t+C_t \sigma_c \sigma_m \right) dt+\left( C_t\sigma_m+M\sigma_c \right) dz_t
\end{split} \]が成り立つ。

\( D_t\)はマルチンゲールなので、ドリフトは\( 0\)である。よって
\[ \begin{split}
0&=C_t\mu_m+M \mu_c C_t+C_t \sigma_c \sigma_m \\
\Leftrightarrow \mu_c&=-\frac{\mu_m }{ M}-\frac{ \sigma_c \sigma_m}{ M}
\end{split} \]がわかる。

ここで、\( C_t=B_t\)(安全資産)とすると、\( \sigma_c=0\)であり、この資産の収益率は無リスク利子率\( r_t\)に等しいから、
\[ \begin{split}
r_t&=-\frac{\mu_m }{ M}
\end{split} \]とわかる。

また、\( C_t\neq B_t\)であるときは、
\[ \begin{split}
\mu_c&=r_t-\frac{ \sigma_c \sigma_m}{ M}\\
\Leftrightarrow \frac{\mu_c-r_t }{\sigma_c  }&=-\frac{\sigma_m}{ M}
\end{split} \]が成り立つ。

左辺はリスクの市場価格を示している。

無裁定ならば、リスクの市場価格は一意に定まる(詳しい説明はこちら)。

これを\( \theta\)とおくと、\( \theta=-\frac{\sigma_m}{ M}\)であるから、状態価格デフレータ\( M_t\)が満たす確率微分方程式は
\[ \begin{split}
\frac{ dM_t}{ M}=-r_t dt-\theta dz_t
\end{split} \]となる。

ここで\( m_t=\ln M_t\)とおく。

このとき伊藤の公式より
\[ \begin{split}
dm_t=-\left( r_t+\frac{ 1}{ 2}\theta^2\right)dt-\theta dz_t
 \end{split} \]であるから、

\[ \begin{split}
C_t&=E_t\left[ \frac{ M_t}{ M_t}C_T\right]\\
&=E_t\left[ C_Te^{m_T-m_t}\right]\\
&=E_t\left[ C_Te^{-\int_t^T\left( r_t+\frac{ 1}{ 2}\theta^2\right)dt-\int_t^T\theta dz_t}\right]\\
&=E_t\left[ e^{\int_t^Tr_t dt}C_Te^{-\int_t^T\frac{ 1}{ 2}\theta^2 dt-\int_t^T\theta dz_t}\right]\\
\end{split} \]となる。

一方、マルチンゲール法による資産価格は
\[ \begin{split}
C_t&=E_t^Q\left[ e^{\int_t^Tr_t dt}C_T\right]
\end{split} \]であるから、

\[ \begin{split}
e^{-\int_t^T\frac{ 1}{ 2}\theta^2 dt-\int_t^T\theta dz_t}
\end{split} \]はギルサノフの定理に現れるラドン=ニコディム微分であると確認できる。

まとめ

ギルサノフの定理に現れるラドン=ニコディム微分は、状態価格デフレータの拡散係数に起因している。

状態価格デフレータの拡散係数はリスクの市場価格と一致しており、これは市場が無裁定であることによる帰結である。

ラドン=ニコディム微分に現れるリスクの市場価格の2乗の項は、状態価格デフレータの対数過程において伊藤の公式を用いることにより生じる「お釣りの項」に起因している。

参考文献

[1]Pennacchi, Theory of Asset Pricing, 2007,Addison Wesley
[2]村上, 金融実務講座 マルチンゲールアプローチ入門: デリバティブ価格理論の基礎とその実際, 2015, 近代科学社
[3]無裁定条件とリスクの市場価格の関係について

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